天童温泉は明治44年の開湯から、間もなく100年になります。
泉質は硫酸塩泉で温度が60度と高く無色透明な温まりの湯です。
下の写真は温泉の東側にある湯の上山より南西方向を撮影したもので出羽の三ツ森と言われる、右から舞鶴山、八幡山、越王山にいだかれ倉津川に囲まれた田園に在し、舞鶴山には名前の由来とされている北畠天童丸(南北朝時代の領主)の天童城跡地があります。
温泉旅館街の位置は写真の右側で、昭和30年代は田んぼの真ん中にぽつんぽつんと建物が見えるだけでした。
しかし昭和40年代に入り山形バイパス(現在の国道13号線)が開通し河川や道路の整備が進み現在では家屋やビルが立ち並び、むかしの面影は舞鶴山周辺に残るだけとなってしまいました。
最近は、温泉内に三つの足湯が出来、市民の憩いの場となっております。 |
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昭和30代年代出羽の三ツ森 温泉の東側にある湯上山より撮影 山口 弘 氏 |
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昭和40年代出羽の三ツ森 温泉の東側にある湯上山より撮影 山口 弘 氏 |
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昭和50年代出羽の三ツ森 温泉の東側にある湯上山より撮影 山口 弘 氏 |
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昭和60年代出羽の三ツ森 温泉の東側にある湯上山より撮影 山口 弘 氏 |
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温泉の形成 |
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開湯当時の風景(鎌田温泉) |
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明治44年鎌田温泉を発見「稲荷湯」 |
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田んぼの中から宝が出たと喜びに沸き明治45年初旬で14箇所の井戸を堀、鎌田原に温泉が湧き出たことは県下に広まり近在近郷から人々が集まりった。掘立て小屋が点在し客室が急増、湯治旅館が出来開湯たった四ヶ月で32軒世帯が定住するようになりました。 |
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あづま荘の開業 |
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昭和30年代初頭 |
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開湯間もない頃の「東湯」 |
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当館の前身である「東湯」も開湯と同時に客室数7室で営業を始め、当時は湯治客が多く賑わっていた。
鎌田温泉と呼ばれていたが間もなく天童市と合併したので天童温泉と命名した。 |
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天童温泉小唄 作詞 大沼 惇 作曲 工藤八郎
- 白い湯げむり ほのぼの匂い 胸がときめき 若返る
忘れられないエー 忘れられない あの娘の笑くぼ
天童なつかし お湯の里 お湯の里
- 窓を開ければ 舞鶴山が とても見事な 花盛り
赤いぼんぼりエー 赤いぼんぼり 湯ぶね映る
天童なつかし お湯の里 お湯の里
- 旅のつかれや 浮世つらさ 風呂に入れば夢うつつ
甘い唄声エー 甘い唄声、うっとり聞いて
天童なつかし お湯の里 お湯の里
- かねて望みの 若松詣り 明日は紅葉の 山寺へ
心はればれエー 心はればれ 浴衣でお茶を
天童なつかし お湯の里 お湯の里
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〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目2−1 天童温泉 露天風呂の宿 松伯亭あづま荘 TEL 023-654-4141 FAX023-654-4146 
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